LINKS COLUMN OTHERS LINKS #4 – SESSION – Photo: Shiori Ikeno Text: Kana Yoshioka Interview テイ・トウワ × 田島一成 × 白山將視 音楽家としてデビュー当時から眼鏡がトレードマークのテイ・トウワさん。世界的にブレイクを果たし一世を風靡したエレクトロニック/ハウス・ユニット、DEEE-LITE(ディー・ライト)在籍時から、ソロで活動を始めて数年間は〈白山眼鏡店〉のモデル“ROY ”を着用していた。その頃、テイさんはニューヨークに住み音楽活動をしていたのだが、当時、クリエイティブな活動を共にしていたのが写真家の田島一成さんだ。これまでに何度か、“ROY ”を着用したテイさんの姿を撮影してきた。そして2024年、37年振りに“ROYがアップデートされ“KELTON ”として登場、この度の撮影が実現した。 ROYから、KELTONへ。その背景にある眼鏡物語 PROFILE 田島一成 Tajima Kazunali 1968年東京都生まれ。写真家、五味彬氏アシスタントを経て独立後、1989年からパリ、ニューヨークにて活動。2002年から東京をにて、MI LD i nc. 設立。広告、ファッションを中心に、音楽系やTVコマーシャルにも活動の場を広げる。1997年「American Photographie Annual(アメリカ写真年鑑)」掲載。2007年、2013年 ADC賞受賞 PROFILE 白山將視 Masami Shirayama 1950年東京都生まれ。株式会社白山代表取締役。1883年(明治16年)に創業した 東京人形町の白山(しらやま)眼鏡店をルーツに、1946年に上野で開業した白山眼鏡店を1974年に継ぎ、1975年からオリジナルフレームの製作を始める。約120アイテム580バリエーションリジナルフレームがあり、上野本店、 WALLS渋谷店を始め全国に5店舗展開。 PROFILE テイ・トウワ TOWA TEI 1964年神奈川県生まれ。1990年にニューヨークにて、DEEE-LITEのメンバーとしてデビュー。シングルが全米4位を記録し、世界的に注目を浴びる。1994年より日本へ活動を移し、ソロとして活躍。これまでに通算12枚のアルバムを発表。DJ 、楽曲プロデュース、映画音楽制作、CM楽曲制作などのほか、アート、ファッション方面など幅広く活動中。 -白山さん、本日の撮影を見ていかがでしたか? 白山將視(以下、白山) 眼鏡も、服も凄くお似合いだなと思って見ていました。以前にROYというモデルをかけていたテイさんと、それが進化したKELTONを今のテイさんがかけている姿を見て、時代をひとつ超えた美しさを感じましたし、凄くいい感じでした。 田島一成(以下、田島) KELTONの元となるROYは、やっぱりロイ・オービソンからきているんですか? 白山 そうです。ロイ・オービソンを自分なりにイメージして、1987年にROYをリリースしました。かなり独特なデザインなのでその時はなかなか売れなかったんですが、テイさんにかけて頂いた頃からグッと印象が変わりました。そこから売れ行きも良くなりました。テイさんが引っ張り上げてくれたのだと思います。 TOWA TE(I 以下、テイ) ありがとうございます。僕は目が悪いのでずっと黒縁メガネをかけていたんですけど、ニューヨークに行ってからは撮影をすることが増えてきていたので、東京に帰ってきた時にもう少し派手な眼鏡はないかなと思って、確か渋谷のパルコへ行ったんです。そこで白山眼鏡店という名前を知って、黒縁の眼鏡を買ってデビューをする前からニューヨークでかけていたら、いろいろな人に聞かれまして。 白山 凄くお似合いでしたからね。なかなか難しいモデルですが、作った側を「このモデルは格好いいんだ」と思わせてくれました。 テイ DEEE-LITEの1stアルバムから、ソロ・アルバムの3枚目まで白山眼鏡店の同じ眼鏡をかけていましたけれど、あの眼鏡をかけた僕が知れ渡ったのは、特に狙っていたわけではなかったんです。当時、ニューヨークの美容院で働いていた友達が、真っ直ぐな前髪に眼鏡という僕の姿を生み出した。手のポーズも別に狙ったわけではなく、撮影をする時に何かやらなきゃいけないと思っていた時に、キース・ヘリングと初めて一緒に写真を撮った時に自分がしたこのポーズを思い出して、その写真を玄関に貼り付けてたので、それが頭の中にあったんだと思います。 -テイさんと田島さんは、いつどこで知り合い交流をするようになったのですか? テイ タジ(田島氏のこと)が、 最初にパリからニューヨークへ来たのって何年だっけ? 僕は1987年にニューヨークに行ってゲン(細谷ゲン)と一緒にいたじゃない。 ゲンはライトパブリッシングの社長、細谷巖さんの息子なんですけど、僕と同じマンションに住んでいて、 よく一緒にいたんです。 田島 そのゲンと僕が、小学校からの知り合いだったんです。 テイ それでゲンからパリに住んでる友達がニューヨークに来るって聞いていたんだよね。覚えているのが、RADIO NOVAというパリのラジオ番組での僕のミックスを、タジがチェックしてくれていて。 田島 RADIO NOVAで、テイさんのミックスがかかったんです。それを僕はカセットテープに録音したので、そのことを同級生のゲンに手紙で書いて送ったんですよ。そしたら、「テイくんがそ れを聞きたいって言ってるから、録音したミックスのカセットテープを送って」っていう手紙が返ってきて、それで送ったら、「ありがとう」って新しいミックステープを送り返してくれた。それでパリからニューヨークへ引っ越す前、10カ月間ぐらい東京にいた時に、僕が当時、よく仕事をしていたタイクーングラフィックスがテイさんの『FUTURE LISTENING!』のジャケットのデザインをすることになって、それで僕が撮影をすることになったので、それで初めてリアル・テイさんに会いました。 テイ インドの映画館の看板に、インチキ臭い油絵みたいな絵があるじゃないですか。あれをやりたかったので、そのための素材となる写真をタジに撮影してもらったんです。ジャケットでなぜベレー帽を被ったのかというと、ステージに上がるようになってから、動くと髪型が気になっちゃうから帽子を被るようになったんですね。 なのでジャケットになった写真はベレー帽を被って、相変わらずあの眼鏡です。 田島 その撮影を終えて、「ニューヨークへ引っ越しするんです」ってテイさんに話したら、「最初はうちに居候していいよ」って言ってくれて、それで3カ月間テイさんのところに居させてもらったんですよね。 テイ その頃の眼鏡の話をすると、ソーホーの方に眼鏡屋さんができて……なんていう名前だったっけ? 田島 〈セリマ(セリマ・オプティーク)〉かな? テイ そうそう〈セリマ〉。 店の人がDEEE-LITEのファンで、「眼鏡、なんでもあげるよ」って、他の眼鏡に浮気したこともあります(笑)。ニューヨークにいた頃は、普段からあの髪型に〈白山眼鏡店〉の眼鏡をして街を歩いていたんですけど、DEEELITEでデビューをしてからは街で指を差されるようになって、それで一時、コンタクトにしたり、別の形や色の眼鏡をかけていた時期もありました。 -今回のファッションストーリーを撮影をするにあたり、どのようなテーマで撮ろうと思いましたか。 田島 テイさんをモデルにして、これだけのファッションページを撮るので、スタイリストのトシオ(タケダトシオ)にも考えてもらったんですけど、僕はカラフルな組み合わせというか、そういった感じの服をテイさんに着てもらったことがあまりないので、マルチカラーでいろんな色が入ってる服を着てもらうのはどうかなと思っていたんですけど、トシオからパワーショルダーで、ロボットみたいな雰囲気はどうかと提案がきて、そっちの方がアイコニック的で面白いかなと、それを元にテイさんに相談をしたらOKと返事をもらえたんです。それで撮影をしました。 白山 デビット・バーンの雰囲気を感じさせるような存在感があって、でもすごく今の感じだなと思いました。 テイ デビッド・バーンは眼鏡をかけたり、帽子を被らないので、そこで差が付けばいいかなと。唯一、後悔しているのは、もしかしたらマネキンでよかったんじゃないかなっていう(笑)。家にマ ネキンがあるんですよ。 一同笑。 田島 テイさん撮影が嫌いなんですよ(笑)。マネキンも撮影が好きじゃないからわざわざ作ったんですもんね。だってテイさんのPVとかロボットしか出てこないですから。 テイ 自分がソロで出てくるとかはないですからね。やっぱり不本意に自分の顔とかがアイコニック化してしまったので、ちょっと恐怖心があるのかもしれません。 -テイさんにとって眼鏡は必要不可欠なものですか? テイ そもそも目が悪い、近眼だから眼鏡をかけているというだけで、狙ったものでも何でもなかった。大学時代に2人組の音楽ユニットをやっていた時期があって、パルコの最終審査まで残ってしまったんです。僕がトラックを作って、もう1人が歌ってという、エイルビス・ホリデーっていうバンドだったんですけど、その日、楽屋にいる時に相方に「テイくんは眼鏡が似合わない」「だから眼鏡を外せ」って言われたんです。僕は目が悪いからメガネが必要なんだよって思って、その帰り道でばったり坂本龍一さんに会ったの。僕は既に坂本さんと面識があって、 その時に坂本さんが「テイくんは1人でやった方がいいよ」と言ったんです。 それで次の日にバンド解散しちゃいました。そんな話もあります。 白山 坂本龍一さんもですが、イエロー・マジック・オーケストラの皆さんには全員うちの眼鏡をかけてもらっていました。’70年代後半から80年代前半にかけてツアーを行ってる時のイエロー・マジック・オーケストラ。赤い服を着ているアルバムのジャケット(『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』)でもかけて頂いていて。 田島 あれ、〈白山眼鏡店〉だったんですね。ジョン・レノンがかけていたモデルですか? 白山 モデルは違うんです。フレーム色は同じなんですが、高橋幸宏さんの方が早い。あの頃は、眼鏡屋に面白い眼鏡があまりなかった時期だったので、人伝に聞いてうちに見に来てくださったのだと思います。それは僕の誇りですし、ミュージシャンの方に気に入って頂いたことが多いですね。 -なぜ、今の時代にKELTONをリリースしたのですか? 白山 気分ですね。ROYのようなモデルをもう一度やってみたいと3年ぐらい考えていたので、やっと出来上がった感じです。KELTONというモデル名の由来は、ロイ・オービソンのミドルネームから取りました。モディファイしたんですけど、近年ではボストン型やラウンド型など、割とソフト型を作っていたので、そろそろ縦をちょっと狭くしたいなという気分になってきまして、そのイメージが僕にとってはROYにあったんですね。角張っていて、横に長くて縦が狭い、それでいて強い感じ。今作ったことに特に意味はなく、今の僕の気分がそうだっただけなんです。 田島 オリジナルのROYを再販しようとは思わないんですか? 欲しい人たちもたくさんいたと思いますが。 白山 少しだけモディファイしたかったんですよね。当時、テイさんがかけていたROYのフレームは、KELTONよりも厚い8ミリで作っていたと思いますが、そうするとイメージも変わってくる。 テイ だけど、KELTONの方がかけやすいのではないですか?個人的には欲しいですね。 田島 過去のモデルの金型はあるんですか? 白山 金型は消耗していくものなので、ないんです。フレーム自体も本当に最後の一枚まで売ってしまうので(笑)。なので当時のモデルが手元にない場合は、人に譲ってもらったりしています。過去モデルのアーカイヴが一本もない時もあるんですよね。 photo: Tajima Kazunali -テイさんファンで、貴重なROYを持っている人もいるかもしれませんね。しかしそれにしてもテイさんの当時の写真を改めて見直すと、眼鏡ありきの当時のアイコンだったのだなと感じます。それが今も色褪せていないというか。 白山 極端な形ですからね。SF的なものでもあるし、未来感があるというか。そういう形はうちでは、後にも先にもなかったと思います。僕は眼鏡屋に生まれて当時の眼鏡は保守的なものが多く、つまらないと思っていた部分を、ちょっとでも楽しんで、皆さんにかけてもらいたいなという気持ちでデザインしてきました。眼鏡をかけて楽しんでもらえばなっていう。それがミュージシャンの方たちに気に入ってもらえた理由なのかもしれません。 田島 白山さんで何代目になるんですか。 白山 僕は4代目。だけどオリジナルで眼鏡を作り始めたのは僕からなんです。 それまでは仕入れたものを売っていた眼鏡屋だったんですけど、1975年に1stモデルを作りました。なので来年で50年になります。 自分でもびっくりしてるんですけれども。 -1stモデルではどのような型を制作されたのですか。 白山 HANKと名付けたウェリントン型の、割と行儀のよいモデルです。HANKは来年50周年になります。こんなに続けてこられると思っていなかったので嬉しいです。50年は一つの節目なので、な にか自分たちの記念のようなことをやれればと色々考えているところです。 TOW TEI 『Last Century Modern』(1999) TOWA TEI 『Future Listening!』(1994) -眼鏡は目の悪い人にとっては本当に必要不可欠なものですよね。 テイ 「眼鏡は顔の一部です」と言いますけれど、本当にそうですよね。 白山 僕はいつも言ってるんですけれど、メガネは 遺品になるものなんです。生きてきた誇りや重さというか。その人がかけていたメガネが置いてあるだけで、その人を思い出して語ることができる。 田島 眼鏡が仏壇に置いてあることってありますからね。 白山 そうですよね。おそらくオノ・ヨーコさんがアルバムで、ジョン・レノンがかけていた眼鏡を使っているのはそういう意味合いもあるのかなとも思いますし、実際に自分の知り合いにも遺品として大切に持っている人たちもたくさんいます。眼鏡は掛けていた人との深い繋がりがある、そういうアイテムなのかなと思う時があります。 テイ そう考えると、眼鏡は本当に顔の一部ですよね。〈白山眼鏡店〉ではなく〈東京メガネ〉ですけど(笑) 白山 〈東京メガネ〉は、実は親戚なんですよ(笑) テイ そうなんですね! それも凄い話ですね。じゃあ、「眼鏡は顔の一部です」 by テイ・トウワって書いといてください(笑)